森の小道より

本や音楽や映画、好きなものを気ままに書きます。

絶望的ハッピーエンド

※このブログには一部ネタバレが含まれます

 

 

「とんでもないものを観た」というのが、率直な感想です。

 

thegunmovie.official-movie.com

 

『銃』が実写映画化する、と知った時から、あの世界観がどうスクリーンに集約されるのかが楽しみで仕方ありませんでした。原作の『銃』は数年前に読んだきりでしたが、あえて読み直しはしませんでした。お陰で幾分か新鮮な気持ちで映画を観れた気もするし、また読み直してから観に行きたい気持ちもあります。『去年の冬、きみと別れ』は未だに観れていないので今回は絶対に公開期間を逃さない、と心に誓い、テアトル新宿に初めて足を踏み入れました。

 

とにかく村上虹郎さんやリリー・フランキーさんをはじめとする演者さんの覇気、全編を通した世界観の異常性、その中にいる広瀬アリスさんの普遍性、すべてに終始鳥肌が止まらなかったです。本当にすごい時間を過ごしてしまった…語彙力が足りない…

 

私は映画の良し悪しを評価できるほど様々なものを見尽くしているわけではありませんが、個人的な主観十割の感想として、この映画がただただ好きです。

 

映画を観た、というのを超え、映画体験をした、という感覚になると思います。

中村文則さんの公式ホームページ*1で読んだこの一文が、映画館が明るくなっても暫く頭の中に渦巻いていました。拳銃を拾うところから始まるこの話の中では、トオルのやっていることはすべてが異常であるようで、どこかいつだか心の中でトオルに共感したり、「撃て!」と思ってしまったり、自分の中のアウトローな部分も引きずり出されるような感覚。

 

私はいつも中村さんの著作を読むとこのような感覚に襲われるのですが、今回映画のあと、帰りの電車内でも同じような背徳的な不快感に襲われました。

 

他者に興味のない、おそらく「どこかにいそうな普通の人間」であるトオルが一本の拳銃を持つことで「異常な人間」に変化していくさまがまざまざと突き付けられていて、トオルの異常さを俯瞰的に見ながらも、「自分もトオルのようになり得るのではないか」と感じてしまう。自分も拳銃をどこかで手にしたら、あるいはそれ以外の非常に魅惑的な何かを手にしたら…と思うとぞっとするような、それでいてそんなモノに出会ってみたいと思ってしまうような危ない誘惑に魅せられてしまう90分でした。

 

拳銃、という「普通に生きていたら」一生出会う事が無いであろうもの。

それを手にしたトオルが銃を手にスリルを楽しみながら生き生きと過ごす日々。いつ、どこでだって、誰をだって、殺すことのできる道具。この世にいるすべての人間の死を握っていると過信するトオルは結局自分自身の死すら自身の手に握っていられなかったわけですが、拳銃を手にし、それを手入れするトオルは他の何と対峙している時よりも、満たされていたように思えます。

 

そして中村さんも発言していた通り、映像の美しさと音の迫力が本当に素晴らしかったです。全編白黒で進む中で、陰影のみ、白と黒のみの世界が一層拳銃の美しさを際立てていました。他に余計な色のない世界で輝く拳銃は作中で間違いなく一段と美しく感じましたし、トオルが隣の音を遮るために大音量で流し続けた音楽はトオルに巣食う銃の狂気的な魅力と混ざって、耳にこびりついて未だに離れません。 

 

『もう少しなんだけどな』

 

ラスト、暗転して劇場内に響いたその声は、不安がるような、言い聞かせるような、心底疑問のような、とにかく弱い声でトオルの弱さが集約されたようなその声がまた一層私の気持ちを揺さぶりました。

銃に支配され、自分の手ですべてを終わらせることさえできないトオルのその姿が妙に人間的に見えて、一気にトオルに心が寄り添ってしまう瞬間でした。トオルの心根が弱い描写は劇中でも複数出てきたように思えますが*2、その中でもとりわけトオルの人間らしさを感じ、ああ、この人も普通の学生なのだ、と思ってしまうのです。

 

遺体の傍にある拳銃を拾うことから始まり、女性の扱い(トースト女とヨシカワユウコ)や猫に向かって発砲したこと、それにえも言われぬ高揚感を抱いていること、彼のしてきたことに共感できることなど一つとして無かったはずなのに、おわりに力なげに笑うトオルを見てこの言葉を聞く時には、トオルも私含め大多数の人と変わらない一人の大学生なのだ、とごく自然に思ってしまうのです。

 

そしてそのせいで、一度は抜け出そうとした場所から人を撃つことで永遠に抜けられなくなってしまったこと、それがよりによって「あの母親」ではなく偶然そこに居合わせた男だったこと、衝動的な殺意をトオルに抱かせたどれを排除すれば彼は幸せになれたのか、を考え始めてしまっています。今まさに。

 

 

私はこの話に大団円のハッピーエンドは存在しないと思っていて、トオルがあのまま拳銃を捨てれば、彼の生活は戻っても少年はずっとザリガニのハサミを引きちぎるだろうし、じゃあ母親を撃てばトオルは捕まり、銃に理性を崩されたうちのひとりとなる。どちらを選んでも、完全なるハッピーエンドは存在しません。それでもきっとどちらかを選べば、誰かは幸せになれる可能性があるのです。

 

それでもどちらも選ばせてくれない極めて絶望的なこの終わり方が、この話に関してはかえってハッピーエンドかもしれないと思ってしまうような、麻痺したような謎の清々しさを感じるこの終わり方が、映画を観て一層好きになりました。

何も希望のない、誰も救われることのないエンディングは、恐らく原作を読了している方でも改めて頭を抱えるのではないかと思います。

やっぱりどう考えてもこれは一番バッドエンドで、これ以外ならどんなエンディングでも受け入れられそうなほどで、ただトオルにとって、これしかなかったような、これが最善のエンドだったような気もします。原作も、映画も、どちらも。

 

 

見つめれば見つめるほどに触れたならば触れるほどにさがこみあげ誰かを脅すことも守ることも殺すこともまた自ら死ぬことも可能にする銃と<道具=武器>は大学生活の心的様相もあざやかに変えて*3

  

なんて恐ろしいものなんだ、と思うと同時に、なんて魅惑的で魅力的なものなんだ、と感じてしまう自分に気付いた私は、私のために、一生それを持つことはないでしょう。

 

 

 

*1:小説家 中村文則公式サイト -プロフィール-

*2:トースト女の家や刑事との喫茶店帰りにて、緊張感から嘔吐する描写など

*3:映画公式サイト内、About the MovieのStoryより抜粋